北九州市八幡西区「本城」の由来 [福岡県]
北九州市の、洞海湾の奥の地区には、たくさんの遺跡や古墳跡など、歴史的な足跡がそこかしこで見られます。
貝塚の位置をたどれば、もともとの洞海湾の海岸線がいまよりずっとずっと内側だったことが図り知れます。
この地区のなかでもはや残されるものはその名前だけとなり、目に映して確認できるものがなくなってしまったもの。。。それが「本城」です。
権力を持ちすぎてしまった平清盛を打倒せんと源氏が立ち上がり、滅ぼした、あの有名な源平合戦。
源義経が大活躍した戦いですが、義経のそばにはいつも範頼(のりより)がいました。
源頼朝の弟であり、源義経の兄でした。
源範頼が源平合戦のときにこの地に城を築いた、それがこの「本城」の由来です。
本陣橋は、そこに本陣があったのではと思われがちですが、本陣橋が架かっている場所からきています。
それは本城と陣原の間。
それぞれの名前から文字をもらってつけられていたようです。
源平合戦のその後、義経は兄の頼朝に追われ最後は自害して果ててしまう、このお話は有名ですが、この地に城を築いた源範頼も、義経追放後、頼朝から謀反の疑いをかけられて殺されています。
ひたすら義経の影に隠れた範頼。せめてここに地名として残ってなぜか少しだけほっとしてしまいます。
貝塚の位置をたどれば、もともとの洞海湾の海岸線がいまよりずっとずっと内側だったことが図り知れます。
この地区のなかでもはや残されるものはその名前だけとなり、目に映して確認できるものがなくなってしまったもの。。。それが「本城」です。
権力を持ちすぎてしまった平清盛を打倒せんと源氏が立ち上がり、滅ぼした、あの有名な源平合戦。
源義経が大活躍した戦いですが、義経のそばにはいつも範頼(のりより)がいました。
源頼朝の弟であり、源義経の兄でした。
源範頼が源平合戦のときにこの地に城を築いた、それがこの「本城」の由来です。
本陣橋は、そこに本陣があったのではと思われがちですが、本陣橋が架かっている場所からきています。
それは本城と陣原の間。
それぞれの名前から文字をもらってつけられていたようです。
源平合戦のその後、義経は兄の頼朝に追われ最後は自害して果ててしまう、このお話は有名ですが、この地に城を築いた源範頼も、義経追放後、頼朝から謀反の疑いをかけられて殺されています。
ひたすら義経の影に隠れた範頼。せめてここに地名として残ってなぜか少しだけほっとしてしまいます。
福岡県福岡市 「博多」の由来 [福岡県]
福岡市7区のうち、全国的に最も有名なのが「博多区」ではないでしょうか。
「博多区」は市内東部の那珂川と御笠川に挟まれた区域を指し、「博多どんたく」や「博多祇園山笠」などでも知られている地名です。
この「博多」の地名の由来は諸説あり、「土地が博(ひろ)く人や物産が多い」という説や、その地形から「(大鳥が)羽を広げたような形である=羽形」、「大樹が舞い落ちた形=葉形」などの説があります。
なかでも有力な説としてよく挙げられるのが、博多湾を擁す土地であるところから「海に出る船の停泊する潟=泊潟」に由来するというものでしょう。
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